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カナダワーキングホリデー留学センター「カナダガイダンス」

 

団塊の世代の為の米国の国立公園、インディアン居留地巡りの旅

電話での日本からの私どもへのご連絡の場合: 250−999−0680


SUV車で北米長距離ドライブをされませんか?

SUV車つまりSport Utility Vehicleスポーツ多目的自動車の略である長距離ドライブを目的とした4WD車で、北米大陸を縦横無尽に、国立公園やロッキー山脈を走破する4名までの個人旅行を主催しています。

航空機でロスやサンフランシスコからラスベガスやグランドキャニオンに飛ぶのではなく、SUV車で地面を這って臭いを嗅ぎながら、1週間から2週間、荒野、大草原の次の目的地まで1日8時間か10時間駆けて、かつての西部の幌馬車隊の開拓者の様に冒険の旅を体験するのが目的です。

同行しますのは、旅行のツアコンダクターとして世界中を、ご案内したベテラン日本人ドライバーガイドです。これまで北米大陸をSUV車で4回横断しただけでなく、エジプト、トルコ、東南アジア、世界一周を歩いた経験を持っています。旅行の基点はバンクーバーから出発します。

団塊の世代として、これまで働いて来られた日本の60歳を境とするご夫婦、ご友人仲間で好奇心の強い方々を対象として、長年の夢としての北米大陸ドライブの参加者を求めています。冬季オリンピックの観戦後に、バンクーバーを南に下って、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスを車で訪問されては如何でしょうか?

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その行程表と料金は別ページに表示されています。旅行ページにジャンプ

日本からは見えない歴史の現場に行って、肌で感じて下さい

20世紀の半ば以前は、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアのエスタブリッシュメントは、そのとてつもない距離によって、米国中西部や西部を支配出来なかった事が理解出来ます。

その為に西海岸のカリフォルニア砂漠の中に、アシュケナージユダヤ人がハリウッドを、東部アングロサクソンの支配を逃れて、ユダヤ映画王国を作りあがました。それがロスアンゼルスの基礎産業になりました。

ラスベガスと言うギャンブルと売春の町を、東部の支配から逃れた人々(シシリー人)が作り挙げました。そういう視点で、ラスベガスの周りをみてみますと、宗教の本山ソルトレークが見つかります。ゴールドラッシュで出来た町がサンフランシスコでした。さらに飛行機王国ボーイングのシアトルと言う町が浮かび上がって来ます。 各王国キングダムは、独立した別国で、東部からは独立していました。

シカゴは精肉工場と、イリノイの農業地帯の麦を捌く為の仲買場と、それを東部と西部に鉄道輸送をする為のターミナルでした。シカゴのお祭りの最大の物が、セントパトリックと言うのも、そこがアイルランド人の巣で会った事が分かります。シカゴはUSAの食料供給地として機能していたのです。

南北戦争の本当の姿はケルト人の権利回復運動にあった

「西部は如何にして勝ち取られたか」と1960年度に作られたフロンティアスピリットと言う愛国主義を歌った映画がMGMに寄って作られたが、その本当の物語は東部13州のくびきからの脱出、逃走が背景にあった事に気ずきます。

そういう目で南北戦争と言う4年間の内戦の意味が解かる様になります。フィラデルフィアを中心とするアングロサクソン東部支配階級に対して、南部のアトランタを中心とするケルト人アイリッシュ綿貴族と言う新興成金とドイツ人をオリジンとするテキサスの牛貴族が連合して、東部13州から離れて、独自の王国を作ろうとした試みです。

リンカーン大統領は救国の英雄でなく、USAと言うピューリタン王国に楯突くカソリック、アイルランド人の反乱を、東部の鉄工所と造船所を総動員してねじ伏せたにしかすぎません。

ローマ帝国と同じ戦争経済の回転に寄ってUSAは動くシステム

その内戦の結果、軍需産業が異常発達して、メキシコ戦争とスペイン戦争そして第一次世界大戦と太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争と、米国の兵器産業製造所がフル回転したのです。つまり1861年の戦争は1969年のベトナム戦争まで続く100年戦争の幕開きだったのです。

ピッツバーグの製鉄所とフィラデルフィアの造船所、ディトロイトの自動車工場を基礎に、出来上がった三つの町が拡大USAの心臓だったのです。戦争経済こそが南北戦争以来の拡大USAの起動エンジンそのものなのです。

ラスベガスとキューバにシシリー人が、自分達の王国を築きあげていました。1959年カストロがキューバのシシリー人を追い出した時に、それを取り戻すべくCIAに協力を依頼しました。CIAはペンタゴンに働きかけて、共産主義を退治するという大儀名文で、1961年にピッグス湾上陸を計画しましたが、原爆戦争の危険に気がついたケネディが、軍の参加をストップさせました。

シシリー人という新参者の利益の為に、米国の軍を使うとは何事ぞとケネディは、怒りました。USA第一王朝に取って有害な、シシリー人王国とCIA軍王国をつぶす為にケネディ兄弟は戦端を開きました。

その作戦の半分が、シシリー人の最後の砦である、ラスベガス壊滅作戦を、ケネディ兄弟は仕掛けて来ました。USAの第一王朝を立て直す為にも、キューバでの拠点喪失を、さらに拡大させる為に、ラスベガス戦争を計画したのです。

そして太平洋戦争以来、肥大していたペンタゴンの勢力を削ぐ為に、CIAの長官を罷免しました。そうしなければ、国家が軍とシシリー人独立王国の分派活動によって、崩壊するとケネディは思ったのです。二正面作戦に打って出たのです。そして、ケネディは破れました。リンカーンが統一したUSAが、軍(南軍)とシシリー人ギャング王国によって分裂したのです。

この軍とシシリーギャングを向こうに回す為に、ケネディが考えたのはソ連と手を組む事でした。ソ連と連携プレーをする事で、CIA軍王国の存在理由を失わせようとしたのです。敵の敵と手を組んだのです。

しかしケネディの敗戦によって、CIA軍王国とシシリー人王国は米国を簒奪して現在に至っています。米国民の税金を戦争活動とギャンブルにつぎ込んでいます。狂気の暴走が米国を走らせています。その狂気を見たければ、ワシントンDCとラスベガスに行けば、米国の現状を見る事が出来ます。ワシントンにあるあのざわめきは、狂気を感じます。ラスベガスしかり。

 

 

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